木曽の便り ~日本社会問題~

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こんにちは。

ニュースレター作成代行センターの木曽です。

 

 

岡山は桜も散り、日中は暖かい日差しで、夜になると少し肌寒い感じ
がする季節です。

今日は、日本の社会問題や教育について考えてみたいと思います。

少し前になりますが、中日新聞に掲載された社会学者の上野千鶴子氏のコメントが話題になったそうです。
 
 

その内容は、

<<ここから引用>>
『人口を維持する方法は二つあります。一つは自然増で、もう一つは社会増。自然増はもう見込めません。
 
 
泣いてもわめいても子どもは増えません。人口を維持するには社会増しかない、つまり移民の受け入れです。
日本はこの先どうするのか。
 
 
移民を入れて活力ある社会をつくる一方、社会的不公正と抑圧と治安悪化に苦しむ国にするのか、難民を含めて外国人に門戸を閉ざし、このままゆっくり衰退していくのか。
 
どちらかを選ぶ分岐点に立たされています。移民政策について言うと、私は客観的に無理、主観的にはやめた方がいいと思っています。
 
客観的には、日本は労働開国にかじを切ろうとしたさなかに世界的な排外主義の波にぶつかってしまった。
大量の移民の受け入れなど不可能です。
 
主観的な観測としては、移民は日本にとってツケが大き過ぎる。トランプ米大統領は「アメリカ・ファースト」と言いましたが、日本は「ニッポン・オンリー」の国。単一民族神話が信じられてきた。
日本人は多文化共生に耐えられないでしょう。だとしたら、日本は人口減少と衰退を引き受けるべきです。

 
 
平和に衰退していく社会のモデルになればいい。一億人維持とか、国内総生産(GDP)六百兆円とかの妄想は捨てて、現実に向き合う。ただ、上り坂より下り坂は難しい。どう犠牲者を出さずに軟着陸するか。

 
 
日本の場合、みんな平等に、緩やかに貧しくなっていけばいい。国民負担率を増やし、再分配機能を強化する。つまり社会民主主義的な方向です。
ところが、日本には本当の社会民主政党がない。』
 
 

出典:「◆平等に貧しくなろう」 この国のかたち 3人の論者に聞く 中日新聞プラス  2017/02/11

<<ここまで>>
 
 

私、個人としては総論に於いては同感なのですが、認めたくない人からの批判コメントが多かったようです。
 

今後も日本は超高齢化社会に向かっていくのだから今の年金制度が早晩行き詰るのは目に見えています。
当然年金は、徐々にカットされ、現在の生活保護制度と実質同じ様な形に集約されていくのではないでしょうか。
 
 

上野氏の言う、「みんな平等に、緩やかに貧しく」は、みんなではなく、「90%程度の国民が10年後には貧しく」くらいがより正確ではないでしょうか。

 
米国を中心とするグローバリストたちによるTPPなどの戦略で、日本は10年後には、年金資産などを米国に搾取されているからです。ただし、国民の5%から10%くらいは、今のカラクリに気づいて自分なりの対応力で裕福になっているはずです。

 
 
また、ここで言う「貧しい」とか「裕福」という価値観は主義、思想によって変わります。
分かり易くいうと、資本主義の立場で「貧しい」とは300万円以下の年収という定義になります。

 
 
しかし、本当にその定義が正しいのでしょうか?

私は、お金が無くても幸せに生きている人をたくさん観てきましたし、お金持ちでも不幸な人もたくさんいました。
私が思う90%の貧しい人とは、自分が主体的に生きていない人を指しています。
具体的には、自分に向いていない職業を強制的に続けている人や、金銭的に裕福でも自分の好きな事をする時間がない人たちです。
 
 

もっとはっきり言うと、グローバリストたちが管理する資本主義の中で、彼らにうまく騙されて踊らされて生きている人たちが90%程で、そのほとんどの人が不幸になります。
なぜなら、グローバリストたちとの関係はウィン・ウィンにはなりえず、必ずウィン・ルーズだからです。
 
 

まずは、そのカラクリにさえ、気づかない人たちが大半です。

その事に気づいた人たちが、対策を考えて行動すれば、普通に幸せに近づけると思ってます。

もちろん簡単とは言いませんが、まずは子供の教育から見直して、最低でも未来の日本を担う子供たちに
過ちを繰り返させないことが大切です。
 
 

その為には、まさに頭の良い子供たちを育てることに尽きると思います。

そして、これからの自分たちのライフスタイルとしては、
1)持続的な知識の習得(3の為の自己成長および付加価値の向上)
2)生きるための最低限のお金儲け(副業、不労所得、ファイナンスなど)
3)あとの大半の時間を社会に貢献できる自分がやりたい職業
を満たす生き方をすれば幸せになれます。
 
 

大人でも子供でも、自分がやりたいと思って、自主的、主体的に物事に取り組んで、それが社会的に価値があれば、誰かに感謝され、大体が幸せなのではないでしょうか。

そこに資本主義は関係ないです。

資本主義奴隷社会の行き着く先は、絶対的な孤独であり、人間としての存在意義の消滅です。
 
 

どうか、資本主義の洗脳に犯されないでくださいね。

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